仰木彬さん死去~「仰木マジック」の終焉~
プロ野球(パ・リーグ)の名監督として知られる仰木彬さんが、12/15午後に呼吸不全のため死去されました。彼の功績は実に素晴らしいものでしたが、肺がんとの壮絶な闘病における「仰木マジック」もついに尽き、70歳でこの世を勇退。プロ野球ファンとして非常に残念でなりません・・・。
○Yahoo!ニュース「前オリックス監督の仰木彬氏が死去」
【 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051215-00000016-yom-spo 】
○YOMIURI ONLINE(読売新聞)「前オリックス監督の仰木彬氏が死去」
【 http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20051215it16.htm 】
○SANSPO.COM「オリックス前監督・仰木彬氏が急死…野茂、イチロー育ての親」
【 http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200512/bt2005121601.html 】
○関連記事
【 http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2005/12/16/01.html 】
【 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B0%E6%9C%A8%E5%BD%AC 】
○「YOMIURI ONLINE」の記事を抜粋プロ野球の近鉄とオリックスで監督を務め、3度パ・リーグを制して1996年には日本一にも輝き、米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手を見い出した仰木彬(おおぎ・あきら)さんが15日午後4時10分、呼吸不全のため、福岡市内の病院で死去した。
70歳だった。告別式は近親者だけで行う。
仰木さんは福岡・東筑高から54年に西鉄(現西武)に入団。三原脩監督の下、西鉄の黄金時代に二塁手として活躍した。67年に引退。西鉄、近鉄でコーチを務めた後、88年に近鉄監督に就任した。ロッテとのダブルヘッダーとなった88年10月19日の最終戦では、時間切れ引き分けでリーグ優勝を逃し、「10・19」は、球界の語り草となっている。
翌89年にリーグ優勝を果たし、94年からはオリックス監督となり、阪神大震災に見舞われた95年には「がんばろう神戸」を合言葉に、パ・リーグ制覇。連覇を達成した96年には“長嶋・巨人”を破り、念願の日本一に輝いた。
データを生かしながらも、時として大胆なさい配は「仰木マジック」と呼ばれた。近鉄では、野茂英雄投手を1年目からエースとして起用、オリックスでは、無名だった鈴木一朗外野手を「イチロー」の登録名でレギュラーに抜てき、7年連続首位打者を獲得するスーパースターに育て上げた。
今季、近鉄とオリックスが統合された新生「オリックス・バファローズ」の監督に就任。プレーオフ進出争いを演じたが、惜しくも4位となり、今季終了後、健康上の理由から勇退し、オリックスのシニアアドバイザーに転進していた。
監督としての通算成績は近鉄、オリックスの14年間で988勝815敗53引き分け、勝率5割4分8厘。
中でも素晴らしかったのは、「近鉄とオリックスをリーグ優勝あるいは日本一に導いたこと」と、「野茂英雄投手とイチロー(鈴木一朗)外野手という選手を大リーグで通用するまでに育て上げたこと」。これは見事としか言い様がありません。「仰木マジック」という言葉も一時期流行ったけど、その采配ぶりに驚かされることは多かったですね。
、現役時代や監督時代に対戦歴のある巨人・長嶋茂雄元監督は、盟友の突然の訃報に驚く内容のコメントを添えています。またロサンゼルスで滞在中の現マリナーズのイチロー外野手は、あまりのショックに言葉をまとめることさえできない状態だそうです。その他にも、いろんな球界の関係者やプロ野球ファンによる悲しみのコメントを見たり聞いたりしましたが、それだけ“衝撃的な勇退”であり、“大きな存在感”であったわけですね。彼の「人生」という名の長いゲームは、延長戦の末多くの人々に称えられるほどの大勝利を収めたということに・・・。
仰木彬さん。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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コメント
残念でした。
母があのダンディな監督を好きで、と言うよりは、パリーグは、王さんの他に
知らなくて(失礼)。亡くなってガッカリしていました。彼がいたから、世界の
野茂や、イチローが羽ばたいたのですものね。ご冥福を。合掌
投稿: mari | 2005.12.18 17時06分
彼が名監督として名を馳せていた時代は、パ・リーグをかなり注目していたので特に印象深いです。そうですか、mariさんのお母さんがファンだったんですね。良い選手を良いように育てるすごい方でした。それなのに、残念ながら・・・。
投稿: ads(あず)@管理人 | 2005.12.20 01時14分