光とともに・客観的疑似体験
今クールのドラマは数作品しか見ていないんですが、その中で私が「オレンジデイズ」と同等以上に泣かされる思いになる作品が、日本テレビ系「光とともに…~自閉症児を抱えて~」です。自閉症の子を持つ家族とその周りの人との交流を描いたストーリーなんだけど、脚本が私の一目置いている水橋文美江さんなのもあって、安心・安定のまま見続けています。主題歌であるRYTHEMの「万華鏡キラキラ」もすごく名曲で、終盤の感動シーンで自然に流れ始める所なんて、もう涙ものです。私の中で今クールベスト3に入るほどの、実に感動する作品です!
ところで、先日会社帰りの電車の中で、こんな体験をしました。ある駅で、男児とその父親の二人が電車に乗ってきたんだけど、ドアが閉まるなり父親が男児をドア付近の隅へ追い詰めて、しゃがんで両手を広げて男児を押さえ込んだんですね。最初はこの行動が理解できませんでした。しかし電車が動き出すと、男児はワーワーと騒ぎ始めたんです。それもすごく大きな声で。そのうちしゃがんだ父親の胸元辺りで寝転がったり、周りをバシバシと叩いたり・・・。これらの行動を見て、「この男児は自閉症かどうかはわからないけど、何か障害を持った子なんだろう」ということがようやくわかりました。
そして、その男児の暴れ様はエスカレート。挙句の果てには、「(電車を)止めてー!」とか「助けてー!」とか騒ぐ始末。さすがにこんな言葉で騒がれると、状況を見ていない他の車両の人たちも不信に思い始めるというもの。そのうちこの父子はある駅で降りていったんだけど、その後もホームにずっといたということは、たぶんそこが目的の駅ではなく、父親がこれ以上他の乗客に迷惑をかけられないと判断して、たまらず降りたんでしょうね・・・。
この一部始終を見ていた乗客たちの反応は様々でした。まず、多くの人は、たまにチラっと見つつも、見て見ぬフリをする状態。その父子のすぐ近くにいた人は、見るからに迷惑そうな表情。真正面で様子を凝視していた人もいました。そして私は、電車に乗った頃は少し離れた所で立って音楽を聴いて本を読んでいたのに、気付いたら音楽を切って父子の様子をずっと見てただけ・・・。
情けないことに、ドラマ初回話~中盤辺りでの、障害を持つ子の家族以外の登場人物の思いと、全く同じだったんです。こういった異常な事態をいきなり見ると、無意識のうちに冷たい視線を送ってしまっているんだなあ、と。ドラマを見ていて、「家族は良くやってるなあ」と思いやりに感動しても、実世界では他人事みたく思ってしまうし、「○○(家族以外の登場人物)のあのセリフときたら!」と思っても、実世界では同じようなことをしているし。もし自分があの父親の立場だったら、やっぱり途中下車していたんだろうか・・・。あの父親のように、怒らず冷静に子をなだめていられたんだろうか・・・。
結局のところ、当事者になったり、身近にそういった家族がいないと、辛さはわかっても何をすれば良いのかわからないものなんですね。実際ドラマでも、ある親がそんなセリフを言っていたシーンがありました。現在はまだその認知度が薄いんだと思います。だからドラマで家族が「光通信」という障害についての解説チラシを配っていたように、もっと広く障害の認知の輪を広げるべきなのかもしれない。でももし自分が十分に認知していたのなら、何か協力できただろうか? もし自分が実際に同じ立場になったのなら、何か行動を起こせただろうか? そう考えると、認知の他にも勇気というものが重要になってきますね。この一件は、本当に考えさせられたし、今後も考えていきたいことです。
※たまには真面目な話もして真面目に考えたい。それが「あずスタ」というスペースです。
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コメント
こちらが良かれと思ってする事が、反感を買う事もありますからね。
電車の席を譲っても「年寄り扱いして!」と意地でも座らない人、いるらしい。
今回の「光とともに」の菓子屋のおじさん。
「可哀想だからおまけしてあげる」って言い方がねぇ(~ヘ~)ウーン
悪気はないと思うんですよ。どう接していいか分からない人が多いって事ですよね。
言葉に気をつけないと、哀れみや同情と受け取れる。
あずさんがあの時声をかけて、相手のお父さんは「いいです!」だったのか、「ありがとう!」と話は進んだのか…
「勇気」も吉と出るのか凶と出るのか、覚悟が必要ですよね。
こういう「あずスタ」も最高ですわぁ(^o^)
投稿: マナ | 2004.06.19 13時57分
まずはマナさん、コメントし辛いだろう記事に意見を書いてくれて、本当にありがとう! 体験談を綴って忘れずにいようという意識だったので、ただうれしかったです。いや、参考になりました!
確かに今回の件は、情けなくも自問で終わりました。「人間の心」は「何が吉か・何が凶か」がそれぞれなんですよね。「こういう場合はこうする」みたいな、パソコンの設定とは違う所が、また難しいんですよね。だいぶ前に知人がおばあさんに電車の席を譲ったら、コメントと同じように強く拒否されたことがあったそうなんです。たぶんその知人は、その後の人生で席を譲る行為自体少なくなったと思われます。「自分のしたことは何か間違ってる?」みたいに相談されましたからね。
今の私があの父子へ声をかけていたら、本当にどうなっていたんだろう? 気持ちだけ受け止めてくれていたのか? 特別視を嫌って拒否されたのか? 気になるところであり、やはり考えさせられるところです。
投稿: ads(あず)@管理人 | 2004.06.20 01時04分
私もマナさんのいう、ドラマの中のお菓子屋のせりふ「かわいそうだから」っていうのは間違ってると思います。私もアトピーがひどいときに、「かわいそうだね」とか言われたとき、ひどく腹が立ちました。かわいそうって思うのは、その人を見下している気持ちが絶対あると思います。同じくアトピーでつらい思いをしたことがある子は「つらいよね」とか、「大変だよね」といってました。
私もあずさんのような経験を電車でしたことがあります。そのときは「普通にしている」ことを選択しました。それに電車で大声をあげたり暴れたりしていれば、障害の有無に限らず気になることは当たり前だと思います。私は本当に助けが必要そうなとき(たとえば周りの誰かがキレて怒鳴ったりしたとき)は自分から行動をおこしたいですが、それ以外の時は普通にしていることが一番かなって思います。
投稿: ぽぐり | 2004.06.20 01時40分
ぽぐりさん、記事へのご意見、ありがとう! それについて、否定する気は一切ありません。私もぽぐりさんに「頑張って」と応援すると同時に、「返ってプレッシャーになっているのではないか?」と思ったこともあります。このことは以前一度コメントでも書いています。
さて、「普通にしている」のが「プラスマイナス0で一番の選択」というのはわかります。今回の私の行動はそれでした。ただ行動こそは「普通」であっても、内に秘める思いはさまざまであったことは確かです。「うるさいなあ」とか「大変だなあ」とか「可哀相だなあ」とかね。私はその全てに該当しました。それについて思ったのが「認知の輪」の話。行動と言ってもその場でのものだけでなく、そういう体験をした上で、今後少なからず自分なりに何ができるか、と提案したりするのも行動だと言えると思います。例えば、盲導犬を連れた目の不自由な人等も気軽に乗れる、介護車両の新設とか。「結局他人(駅員)任せかよ」、「それじゃ差別につながる」、「単なる偽善だね」とか言われると、元も子もないですが。提案して議論して、より良い解決策を練ることにも積極的になるべきだと思います。
投稿: ads(あず)@管理人 | 2004.06.21 00時04分
あずさんの記事の最後の方をちゃんと読んでなかったので、コメントも誤解をまねいちゃったようです。私が「普通が妥当」と思ったのは、あずさんと私が遭遇した、「電車内でのワンシーン」に対してのみでした。私がどうしてそう思ったかというのは、自分が遭遇したときもそうでしたが、その当事者の方がしっかり対応していらっしゃったのと、車内で騒ぐことを自分が止めることは難しいなと判断したからです。赤ちゃんがむずがって車内で泣いてしまう状況と同じであるとしか自分は感じませんでした。私は小学生のとき、脳障害のある子と近所で普通に遊んでいて、その子が時々理由がわからないまますごくむずがったりすることがあったので、自然とそれが普通だと思うようになっていたのかもしれません。ちなみに私の近所の子がむずがった理由はほんとにささいなことですがいつもなにかしらあって、それはご両親がいつも解読して教えてくれていました。
認知の輪ということに関してはもちろん賛成です。知ることからはじめないと何事も進みませんもんね。それが偽善って言われてもかまわんです!偽善もできない人よか100倍いいわい!!と思います。
投稿: ぽぐり | 2004.06.21 00時23分
私は当初のコメントが「電車でのワンシーン」に対してのみの話であることがわかったし納得しましたよ。だからその後の私のコメントは、その場での対処話とは切り離した、今後についての私の一意見だと思ってくださいね。
ぽぐりさんは、近所の子との実体験も元にして話してくれたんですよね。すごく良くわかりました。「認知の輪」を広めたいというのは、元記事にあるドラマ「光とともに…」を見るとかなり意識するようになります。ほんと、まずは知ることから始めないとね!
投稿: ads(あず)@管理人 | 2004.06.21 01時38分
あ!またもやあずさんのコメントを誤解というか誤読していたようで、どうもすんません。よかったー、最初のコメントの意図が伝わっていて。障害や病気は、ほんとに自分の身にふりかからないと分からないことはたくさんあると思いますが、分かろうとする努力は必要だし無駄ではないですよね。私の地元では、小学校は一学年一人くらい障害を持った子がいたので、あまり特別な感じはしないというのは確かにあるかもしれんです。なめくじを食べようとしてた子がいて、みんなで大慌てでとめたり、むかついたら普通にケンカしたりしてました。光とともにと同じく自閉症の子を題材にした漫画で、「どんぐりの木」(だったっけな?)っていう本があります。飾り気のない現実に近い話の内容ですが、自然とドラマティックな感動がちりばめられた作品だなあと思います。
投稿: ぽぐり | 2004.06.21 02時17分
連続コメント許してください!!「どんぐりの木」ではなく、「どんぐりの家」でした!!自閉症ではなく脳障害や聴覚障害など、さまざまな障害を持つ子供とその家族の現実をずばりと表現した本だそうです。うるおぼえで書いてしまってすいません
投稿: ぽぐり | 2004.06.21 02時20分
これでお互い誤解は取り除けたようですね! 「どんぐりの家」、後日調べてみます。ご紹介ありがとう!
投稿: ads(あず)@管理人 | 2004.06.22 01時04分
あずさん>コメントし辛いだろう記事~。とは思わなかったし、それじゃぁ無理して書いたみたいじゃないの(^_^;)
あずさんの「本気」に同意しました。
そう、自問で終わるのは、答えがないからですよ。
と言うより、相手によって答えが違うから。
ぽぐりさん、こんにちは♪
>かわいそうって思うのは、その人を見下している気持ちが絶対あると思います。
「絶対」と付ける程嫌な思いをされたんでしょうね。
こういう事って多分、初対面の人や、自分の事を良く知らない人に言われたりすると、腹が立つと思うんですけどね(^_^;)
あずさんも言うように、「頑張って」も難しい言葉だと思います。
「頑張れ!」の一言で、本当に救われる時があるのに、逆の場合はきっとその人の「心」を感じないんでしょうね。
誤解誤解と繰り返す(笑)お二人を見ていて、「心」が通じてると感じましたけど(^_^;)
『認知の輪』会員の意見として(笑)
電車の中のような出来事に遭遇した場合など、頼まれたら「はい、喜んで」(どっかの居酒屋みたい?)の気持ちでお手伝いして差し上げたい。と私は思います。
(決してふざけてないのよ。「本気」で書きました。)
投稿: マナ | 2004.06.23 16時14分
>マナさん
「絶対」っていうのは、書いてからあっちゃ~と思いました。。そうです、確かに私があまりに腹立つことばかり経験したので、思わず書いちゃいました。でもそういう経験がない人が読んだらぎょっとしますよな。反省。
あと、「頑張れ」についての議論が就職活動サイトでもかなりされてました!!ほんとにそれくらい微妙な言葉なんだなと思います。そのしゅうかつサイトの議論では、頑張れといわれて嫌な原因は、「投げやりな感じがする」とか「人事だからいえる」とかいう意見が多かったです。言い方や状況、言われる人によっても大きく差がありそうな言葉なんですねー。私は友達など応援したい人には「頑張れ」よりも「おもいっきりやりな!応援してるから!」というふうな言葉をかけることが多いです。私自信はあずさんの頑張れって言葉とっても励みになってますが。
それにしても、私は早とちり女王なので、誤解が多くてほんと申し訳ないです、、。もっとちゃんと落ち着いて読もうって思いました。。
マナさんの「よろこんで!!」思想は私も賛成!
投稿: ぽぐり | 2004.06.24 00時05分
>マナさん
「コメントし辛いだろう」と書いたのは、「あの記事は自問で終わってしまうだろう」と思っていたからなんですね。おっしゃる通り「相手によって答えが違うから」になりますよね。おそらくここでいくら話しても、誰もが納得する結論は出ないでしょうね。朝までやってる何かの議論番組のように・・・。
「はい、喜んで」、これは私も同意です。求められたら我先に! 「本気」、しっかり伝わりました!
>ぽぐりさん
強い言葉は、辛い経験から自然に出てしまったんだと思うし、意見についても別にお互い否定し合っていたわけじゃないと思っています。「頑張れ」という言葉は、簡単そうで難しいです。以前ある人に聞いたんだけど、人生においてマイナス思考である人に、「頑張れ」と声を掛けることが、その後返って逆効果になることもあるそうです。「頑張れたら今頃こうなってないよ」みたいな解釈もあるということ。これはわかる気がしましたね。元々の話に近づけて、「この状況でどう行動するべきか」というのを、その場その場で見つけ出さなければ。
投稿: ads(あず)@管理人 | 2004.06.24 01時36分